39年の音楽人生

2019.2.11 自分の音楽のこと

音楽を楽しむまでの長い道のり

3歳でオルガン教室に通い、鍵盤弾き続けて今年で56年(驚!)

全くもって大した鍵盤弾きじゃないけど、1度も音楽の道から外れなかったことだけは自信をもって言えるようになった自分の音楽人生。
様々な道程はあってもずっと鍵盤を弾いて来た私のプロフィールを兼ねた自伝を書いてみました。
以下長文です。

良かったらお付き合い下さい♪


子供の頃は人並みに「ピアノを弾く人」に夢があった。
練習を続けたら、自動的にピアノの先生もしくはピアが弾ける人になれる♪ と思っていた(笑)。

 

高校卒業後はピアノ科を目指し、朝から晩まで音楽の授業が受けれる幸せな日々…、のはずが、そこはやはり20代のうら若き(?)女子学生(笑)、授業を抜け出し インベーダーゲームにはまり 、放課後はディスコへ青春を謳歌する毎日(^.^)


で、肝心のピアノは、と言うと「楽しむ」からほど遠く「必須科目」として消化する毎日でした(涙)

ピアノを仕事にしようと思ったのは卒業間近の冬。


その当時まだカラオケが主流じゃなかった時代。仲の良い友人がブライダル(結婚式)で「歌伴奏」をする仕事をしていました。
実は中学のころ、兄の影響でフォークギターを楽しんでいたおかげで「コードネーム」をピアノで独学。これがこの仕事で大いに活かされました。
と言うか、そのコードネームを理解していたおかげで私のピアノ人生は大きく変わりました。

クラシックから大きく外れた音楽時代

1983年頃から、平日は実家でピアノレッスンを、週末はブライダル演奏と仕事に明け暮れる毎日。

ただ、その頃のブライダルは電子オルガンが主流で、ピアノ上がりの私には両手両足を動かすなんて、至難の業💦
しかも、ブライダルの歌伴奏は殆ど歌謡曲&演歌!
多少のコード演奏ができるとはいえ、バイエル、チェルニー、ソナタ上がりの私には、リズム、コード、フレーズ全てが未知の世界!!!
ただこの時の経験のおかげで演歌の独特なリズムと歌謡曲のフィル・イン(フレーズ間を埋めるメロディー 別名「おかず」とも言う)を思いっきり叩き込まれました(笑)

そうこうしているうちに、これまた兄の影響で、とあるレコーディングに首を突っ込み、そこへたまたま顔を出したライブハウスのオーナーが「君、キーボード弾ける?」と一言。

 

キーボードがどんな世界か(当時はやっとYAMAHAのDX7が出たばかり)全くわからない私は満面の笑顔で「ハイ♡」と一言(苦笑)
何とこれが、私の第2の人生の始まりだった…!

この時わたくし、26歳。

全く何の知識もなく未知の世界のライブハウスに飛び込んだ私。


今だから言うけど身の程知らずの大バカ者でした(苦笑)

だいたい今までバンド演奏なんて全くしたことないのに、いきなりアメリカンロック、カントリー、ブルースって何!?って世界に飛び込んで演奏しろって、そりゃ無茶苦茶でしょう!?
それもお仕事で!!!

ふつうは、学生時代にたしなんだバンド時代があって、それが仕事になるならまだしも、ちょっとコードが分かって、ちょっと両手がバラバラに動くってだけでその世界に入るなんて、無謀すぎる!!

実は、これまた兄の話なんだけど、兄は学生時代バンドをしてたのでお客として長年バンド演奏は観てたけど、演奏経験はゼロ!ゼロなんです~~~😢💦


バンド時代の始まり

今でも忘れられないステージがあります。

1987年頃だったかな~、初カントリーのステージで、電子ピアノを弾くことになりました。(なぜかシンセじゃなかった)
コードはせいぜい4~6種類。決して難しくはない。
しかし、心の中は「カントリーって何だ…!?」と必死でつぶやいていた。

演奏始まって、とりあえずバッキングだ~!「ブンチャッ!ブンチャッ!」って弾いたかどうかはよく覚えてないけど、突然ヴォーカルの彼が私の横にやって来て
「うるさーーーい!!!」と叫んでボリュームゼロにした(◎_◎;)

ボリュームゼロ

ボリューム…

音ナシ…


ま、それ以上何も言うことないけど、それが私のデビュー間もないステージでした。

ハイ…。

 

それでもピアノレッスンを忘れない

1990年代に入ると、夜はライブハウス、昼はピアノの先生と言う二刀流で駆け抜けた30代。
それプラスブライダルも掛け持ちしていたから、その当時弾いてた音楽のジャンルは

ピアノレッスンでクラシックや子供たちが好きなピアノ曲

ライブハウスではアメリカンロックやカントリーに加えて一番苦手なブルース💦

ブライダルでは歌謡曲の歌伴奏かと思いきやヒーリングミュージックだったりポピュラーピアノだったり…。

好きで始めた「ピアノ」だったけど、今にして思えばただ手を動かして「弾くだけ」。楽譜があるから「弾くだけ」。

本当に心から楽しんでいたのかどうか、細かいことは忙しく記憶にない30代でした。。。

 

好きな音楽を求めて

2002年、40代に入り、今までと全く違ったジャンルのライブハウスで演奏することになりました。

「GS」

「ジーエス・・・???ガソリンスタンド!?」の分けないか(^^;

昭和40年代に流行ったグループサウンズと、ギターのテケテケサウンドでおなじみのベンチャーズ。

「知らな~~~い💦(泣)」

今まで聞いたことのないバンドの音楽にとうとうドラムさんから

「junkoさん、俺たちの音聞いてる? 周りの音、聴いてる・・・?」と静かな声でひとこと。。。

その瞬間サ~~~ッと全身の血が弾いてゆく音が聞こえた・・・、かどうかは覚えてないけど砂漠のど真ん中にひとり置いてけぼりにされたようにしばらくぼ~~~ッと突っ立ていたのを覚えています。

その言葉を聞いて

「あ、私の音♡」と、思えるようになるまでに約6年かかりました。初めてクラシックから離れた時から数えると25年くらいかな。。。

その間禿げるくらい悩んで、弾いて聞いて、弾いて聞いて、弾いて聞いてを繰り返し、時にはヒステリーになって部屋のタンスを投げたことも(笑)。

(なんでタンスだったんだろう^^;)

それからしば~~~らくして、ある人が

「凡才も、1万回練習したら天才と同じ音が出せる」と言った言葉を今でもしがみつくように覚えてる。

同じ曲を毎晩毎晩ステージ弾いていて多分1万回目だったのかな(笑)

「あ、私の音…?♡」と思えたのあの瞬間、いまでも何の曲のどのフレーズかはっきり覚えてる。

 

私の音

いっぱい悩んで、いっぱいタンスを投げて(笑)、行き着いた40代後半。演奏していると頭の上から音が降って来るようにな感覚。

ちらちら降る粉雪のように、次に出したい音が私が弾く0.1秒前にふわっと降って来くる。不思議なんだけど「降る」っていう表現がピッタリの不思議な感覚。

その音を無心でキャッチして弾けたとき、「あ、私の音だ♡」って感じてつい口元がニンマリ(^_^)

その音はとびきり上手くも凄くもないけど、私が産んだ?or生んだ!?「私だけの音」って感じで、その瞬間全身の毛穴がボワ~~~ッて広がるんです(笑)

 

自分の音を求めて

紆余曲折あったけど、タンスは投げても(まだ言ってる^^;)音楽を投げだしたことは1度もなく

好きなピアノが一番嫌いっていう時期もあったけど、ピアノから離れた時も一度もなく

飛び切り上手くも凄くもないけど、時々自分の音が好きで時々自分の音が大嫌い(笑)

それは今でも、そしてこれからもずっと同じで、自分の音が好きになったり嫌いになったりしながらきっと人生の終わりが来るときまで、ず~~~っと自分の音を探し続けているんじゃないかな~♪

 

長々とお付き合いありがとうございました♡

 

 

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